アーモンドチョコレート

『近くまできたから、久しぶりに会わない? あんたの近所の公園にいるから』
 秋も半ばに差し掛かったある日、姉さんからそんなメールが届いた。もう随分と長らく会っていない。前にあったのは、確か大学を卒業したときだった。それ以来だから、軽く二年半は会っていない計算になる。
 私は引越しの荷造りも程ほどに、白のブラウスの上にミント色のカーディガンを羽織って外に出た。私の嫌いな夕陽が眩しい。吹く風はもう肌寒くて、カーディガンを羽織ってきたことを正解だった。
 私たちの両親が離婚したのは、十年も前のことだ。私は母のもとに、姉さんは父のもとに、それぞれ引き取られた。当時、私はまだ中学三年で、姉さんは高校二年だった。離婚の原因は、ほんの些細なことだった。父が、仕事で遅くなることを母に告げなかっただけで、もともと様々なすれ違いで亀裂の入っていた夫婦関係は、いとも簡単に崩れ去った。その父も一昨年前、癌で逝ってしまった。
 それにしても、『近くまできた』というのは、一体どういうことなのだろう? 姉さんが住んでいたのは、父のいた隣の県のはずだというのに――。
 学校帰りの小学生だろう。道の先に赤いランドセルが二つ揺れている。昔は姉さんとああして、一緒に通ったものだ。何でも気のきく姉は、『忘れ物はない? 体操服は?』と毎日のように私に行っていた。
 気がつくと、姉さんの待つ公園の前にやってきていた。さっきの小学生も公園に入っていく。その後を追うように、私も公園に入る。ジャングルジムに、ブランコ、滑り台と遊具は最低限しかない、狭い公園だ。五歳くらいの子どもたちが、保護者が見守る中、遊んでいた。ベンチに目を向けると、姉さんが座っていた。
「待った?」
「そんなことはないわよ」
 姉さんは微笑む。
「隣、座ったら?」
「ありがと」
 促されるまま姉さんの隣に腰掛ける。滑り台に目を向けると、幼い子どもたちの中に、見知った可愛らしい顔があった。
「明海ちゃん?」
 思わず、そう言葉に出ていた。
「昨日、こっちに越してきたのよ。あの人の急な転勤が決まって、アンタにはドタバタしてて連絡が遅れたけど」
「そうなんだ」
 それを聞いて、ちょっと複雑な気分になる。
「明海ちゃん、何歳になるんだけっけ?」
「もう五歳になるわ」
「早いね」
 明海ちゃんが滑り台を降りて、こちらに走りよってくる。と、足がもつれて転ぶ。
「大丈夫?」
 姉さんは慌てて立ち上がって、明美ちゃんに駆け寄った。立ち上がった明海ちゃんは、泣くのを堪えているのか、目には涙を溜めて、口をへの字を曲げている。
「痛かったね」
 姉さんが明海ちゃんの頭を、優しく撫でる。
「痛いの、どこ?」
 姉さんは明海ちゃんの掌や膝についた砂をはたいあげる。私も傍に歩み寄る。
「大丈夫だった、明海ちゃん?」
 屈んで、明海ちゃんを覗き込むが、彼女は姉さんの後ろに隠れてしまった。
「忘れられてるかな?」
「仕方ないわよ。前にあったのは、この子がまだ二歳のときだし、人見知りもあるからね」
 残念だけど、仕方ない。
「明海はもうちょっと遊ぶ?」
 姉さんが聞くと明海ちゃんは大きく頷く。
「なら、お腹空くかな? チョコレート食べる」
 姉さんがハンドバッグからアーモンドチョコレートを取り出すと明海ちゃんは、にかっと笑って、あーんと口を開けた。姉さんが一粒、口の中に入れると、明海ちゃん目を細めて、口をすぼめて見せた。明海ちゃんはそのまままた滑り台へ行ってしまう。
「あの子、これが好きなのよ」
「へぇー」
 姉さんがアーモンドチョコレートの箱を振ると、ごろっごろっと音が聞こえた。
「そー言えば、アンタ前、コレの中に捕まえてきたコオロギ入れて、持って帰ってきたことがあったわね。遠足のときだったと思うけど」
「まだそんなこと覚えてたの」
 いきなりそんな昔のことを言われて、顔がかぁっと熱くなったのが分かる。
「確か、一年生くらいときのことで、私に凄く嬉しそうに見せてたわ」
「あははは」
 私は笑うことしか出来なかった。
 ベンチに戻ると、姉さんがそのチョコレートをくれた。コオロギの話のあとでなんとも食べる気にもなれなかったが、口の中に入れると、かりっという音とともに程よい甘さが口の中に広がっていった。
「あのね、私も転勤が決まったんだ」
 姉さんにそう言うのは申し訳なかった。
「なんだ、そうなの。残念ね。これからは、ちょくちょく会えるかと思ったんだけど」
「ごめんね」
「謝ることなんてないわよ」
「うん」
「それで、いつなの?」
「来週の月曜には、出る予定。落ち着いたら連絡する」
 明美ちゃんは滑り台を滑って、今度はジャングルジムに登り始める。
「ねえ、話し変わるけど、母さんは元気?」
「元気にしてると思う。私も最近会ってないけど」
「再婚とか考えてたりするのかな?」
 母さんには再婚したい相手がいる。けれど、私は姉さんにどう言っていいのか、分からなかった。再婚の話をされてから、母さんとは距離を置いてしまった。
 しばらく、明海ちゃんを目で追いかける。一番上まで登り切る。
「相手がいるなら、再婚もいいのかな、なんて考えるのよ、最近。母さんには幸せになって欲しい。あの子を会わせたいし」
「……ありがと。母さん喜ぶよ」
 でも、私はやっぱり再婚については複雑だった。
「あんたも結婚すれば、少しは分かるわよ。母さんの気持ちが」
「そんなものかな?」
「そういうものよ。っと、そろそろ帰らないと。夕飯作らないといけないし」
 姉さんは「明海ー、帰るよー」とジャングルジムの一番上にいた明海ちゃんを呼んだ。すると、明海ちゃんはするするとジャングルジムを器用に降りて、姉さんの隣に駆け寄ってきた。
「今度、明海ちゃんと会うのはいつかね?」
 私は屈んで明海ちゃんの頭を撫でようとしたけれど、明海ちゃんはすぐに姉さんの後ろに隠れてしまった。
「今度会うときは、アーモンドチョコレートでも持ってこようかしら」
 冗談でそう言うと、
「それがいいかもね。でもアーモンドチョコレートの叔母さんって覚えるかもよ」
「それは嫌」
「あと、空き箱の中でコオロギ飼うのを教えるのも――」
「そんなことは教えません!」
「はいはい。それじゃ行こうか」
 姉さんはそう言って、まだ小さな明海ちゃんの左手を取る。
「またね、明海ちゃん」
 そう言うと、明海ちゃんは右手で、小さく手を振ってくれた。
 帰っていく姉さんの背を見ながら、姉さんは母の顔親をしていた。
 母さんの再婚はやっぱり複雑だけど、もうそろそろいいのかな。
 今日の晩、母さんに電話してみよう。長らくやってなかったけど、転勤の話も未だだから、小言も言われるだろうけど。
 もうじき、沈もうとする夕陽を背に、私は家路についた。

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