恋の向こう側

「男なんて、男なんて」
 全く、そのセリフを今日一日で一体何回聞いたんだろう?
「先輩、大丈夫ですか? ってか何杯目ですか、それ?」
「加藤が起きた! あんたが寝ちゃったから寂しかったのよ、私は」
 とろんとした目で、坂崎智世が加藤司を見た。
「まぁ、少し前から起きてはいましたけど……」
 とはいえ、司の記憶は、どうやって、ここまで来たのかさえ残っていない。……他の連中は一体どこに消えた?
「うむ。それでこそ、私の後輩よ。さぁ、付き合いなさい」
 ここはどこですか? そう司が聞こうとしたら、
「ジントニック、おかわり!」
 と、智世が注文してしまった上に、
「加藤は何にする?」
 続けざまに智世からメニューを渡されて、
「いかがしましょう?」
 カウンター越しに、澄んだ声をかけられて、司が見上げた先に、髪をたくし上げた若い女性のバーテンダーがにこやかに笑っていた。ブルーのライトが仄かに灯るバーカウンターしかないお店。女性バーテンダーの真っ白いシャツが、眩しかった。
「ここは、オリジナルカクテルが美味しいから、それでいい?」
 智世が一番最初にあったオススメと赤く書かれた、苺を使ったカクテルを指差す。値段が書いてないのは、ぼったくりとかじゃないとよなと、思いながらも、オリジナルという響きは気になる。
「じゃあ、それで」
「かしこまりました」
 一礼して、バーテンダーはバックに並ぶ、百以上はあるであろう酒瓶を迷うことなく、四本取り出す。メジャーカップで量を測りながら、シェイカーの中に注がれていく。次に冷蔵庫から赤い苺が取り出されて、大きめにカッティングされていく。手際の良さに、司は目を見張っていた。
「お連れさん、大丈夫ですか?」
 そうバーテンダーから聞かれたときだった。とん。司の右肩に心地の良い重さが寄りかかってきた。
「先輩?」
 かいだことのない香水の香りが、司の鼻を刺激する。どうしようかと、思案したが司はそのままにすることにした。
「ジントニックは、どうしましょう?」
「よかったらキャンセルで」
 司が申し訳なさそうに言うと、バーテンダーは笑った。流れるジャズが心地よかった。
 先輩がサークルの連中を狩り出して、飲みに行ったんっけ。人の遅刻は怒るくせに、『待った?』って、自分の時は平然としてるよな、この人は。
 レポートのせいで徹夜していた司は、あまり飲むことなく一次会で潰れてしまっていた。そのあとの途切れ途切れ記憶を紡いでいく。
 二次会はカラオケに……? 先輩が「歌うー!」と駄々をこねていたのを、司はビルの壁に背中を預けて聞いていたのをぼんやりと憶えていた。誰かが俺を引きずって、カラオケに行ったはいいが満室で入れず、結局このバーまで連れて来て、他の連中は帰ったわけか?
 何気なく携帯を見ると、「起きろ、司! 先輩は任せた! ちゃんと慰めてやれよ」という内容のメールがメンバーから何通も届いていた。腕時計を見ると、三時になろうとしていた。
「まったく、あいつら」
 逃げやがったな。いや、変な気を使ったのか。この状況じゃ、どうしようもないだろうに――。司はちらりと肩に寄りかかる智世の寝顔を盗み見る。目の端の化粧はもう取れてしまっていた。そんな好きだったのかね、彼氏のことが。溜め息がでた。
「お待たせしました」
 淡いピンクのカクテルが、すっと出された。ミントの緑が鮮やかに映えていた。
 これ飲んだら、帰るか……。
 右肩に掛かる感触を密かに楽しみながら、司はカクテルを口にした。

 智世の腕を自分の右肩にやり、智世の腰に左手をやって、なんとか抱えて、司はバーを出る。役得とはとても思えないな。それでも、夜風が気持ち良い。
「先輩、タクシー来ましたよ。起きてください」
「そうね。もう帰りましょう。疲れちゃった」
「はいはい」
 苦笑しながら司は智世をタクシーに乗せる。俺も送るべきか――。今にも寝そうだけど……。体を半分タクシーに入れて、司を一瞬考えた。
「どちらまで?」
 酔っ払いなどさっさと送ってしまいたい運転手が聞いてきくる。
「あ」
 どこだろう? 司はそこで智世の住所を知らないことに気付く。
「えっと」
 何も言えずいると、智世がはっきり自宅を答えた。それを見て、司はふと我に返る。いや、何を考えていたのかね。こんなときに。
「じゃ、お願いします」
 司はそのままタクシーから体を出す。
「好きになったのが、加藤だったら良かったのかな」
 智世のの呟きが聞こえた。が、確認する間もなく、タクシーのドアが閉まる。タクシーが走り出す。一瞬、追いかけようとしたけれど、司の足は動かなかった。ただタクシーを見送るしか出来なかった。
「俺も帰って、寝るか」
 司はもう一台、タクシーを呼ぶ。
「切ねぇーな、もう」
 見上げた空に星は見えない。吐いた息が白く染まった。

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