即興ファンタジー・1

 最近の仕事のストレスなのか、胃がキリキリと痛む。医者からは、「胃炎ですね」と、しばらく仕事を休んで安静にしておくように言われた。
 水谷は病室のベッドの上で、腹を右手で撫でる。毎日の筋トレでそれなりに体力に自信はあったが、内臓は鍛えようがないようだ。医者の身に憶えがないわけではない。頼まれるとノーと言えない性格が災いして、あれもこれもと仕事をこなしてきたのがいけなかった。
「俺も人が良いよな。良い人ではなくて」
 水谷は自虐的に笑った。さすがに職場で血を吐いて倒れたのでは、気が滅入る。気分が悪いのを無理していたら、胃の出血を溜め込んで、逆流させて戻してしまった。「かはっ」なんて様は良いはずがなく、「おえぇ」なんて、ほとんど情けない音が職場で響いたのだから、たまったものではない。
「これでクビかね、俺も」
 誰も見舞いにこないあたりが、人望のなさか。窓はあっても、黄ばんだカーテンが閉められて、外の様子は分からない。できることと言えば、点滴の落ちる様子を眺めるか、天井の染みを数えるか。
 右手で顔を覆う。指先に仄かに温かいものが触れる。
「もう少し、精神的には強いと思ってたんだけど……」
 病院の個室で水谷は歯を食いしばる。静かな嗚咽が漏れた。

 どれほどの時間が過ぎたのか。
 ――起きてください。
 誰だ? 俺を呼んでいるのか?
 水谷を呼ぶ声が聞こえた。女の声だ。
 ――急いで約束の地へ行かないと。私たちの世界は……
 約束の地?
 闇の中で、若い女が水谷の目に映る。女は胸の前で両手を合わせて、祈っていた。大きな丸い帽子のようなものをかぶり、振袖のような着物を着ているが、帯もなくワンピースのようである。
 夢? それにしては妙だな。
 水谷の意識はすでに覚醒しきっていたが、二日酔いのように頭痛がする。
 ――ああ。目がさめたのですね?
 女の表情が喜びでぱっと華やぐ。水谷はしゃべろうとしても、声がでない。
 ――これで私たちの世界に希望の光が見えてくるでしょう。
 夢なら夢で、こんなわけの分からない夢に付き合うこともない。
 水谷はどうには体を起こそうするが、体は言うことを聞かない。代わりに全身が熱くなって、汗をかいていく。
 ――無理に起きようとなさらないで。貴女の意識はもう捉えました。ゆっくり、この流れに身を任せてください。
 言われてみれば、意識が流される、気持ちいい……。
 その女の優しい声に、水谷は頭痛も忘れて、意識は再びブラックアウトした。

「目覚めよ!」
 しわがれたどこかで聞いたことのある声に水谷は、上体を起こした。
「どこだ、ここは? 俺は病院にいたんじゃ……」
 あまりにも眩しい光に、水谷は目を瞑る。
「これか? 予言の巫女が言っていた者は」
 先ほどとは、また別のなんとも残念そうな声が響いた。
 予言の巫女? なんのことだ?
 水谷は光に目が慣れてきて、あたりを見渡す。正方形の大きな石畳の上に丸い曲線を絡み合わせたような紫に輝く紋様が幾重に描かれている。
 なんだ、ここは? どこだ?
「巫女もとんでもないものを呼んだようじゃ。やれやれこれで、この世もいよいよ終わりじゃな」
 水谷はその声を方に向き直る。目の前に木の杖をもった、緑の外套を来た背の高い男がいた。
「そなたのいうとおりだな。いくら予言の巫女が召喚したとはいえ、このようなものでは――」
 背後から、声がした。声の感じからして、女だった。
 召喚? ゲームか、これは? 悪い冗談だ。
 水谷は立ち上がる。水谷の着ているのは、白シャツに紺のスラックスと病院で寝ていた時と変わらない。
「お、立ったぞ」
 実験動物を観察するような声が上がる。
 とはいえ、この状況は――。
「そなた、名をなんと申す?」
「この声、誰かに似ているかと思ったら、くそ上司じゃねぇか。まぁ、よくも、まぁ、人のことを見下してくれたじゃねか!」
 訳のわからない状況下で、水谷は思わず見知った現実への本音を口にしていた。と同時に、小ばかにされた怒りがふつふつと込み上がってくる。
「ったく、一体ここはどこだよ?」
 上司に声の似た男の方に水谷が詰め寄ろうとした瞬間、
「おやめさない!」
 扉が開くともに、凛とした声が響いた。声の主はまだ若い女だった。
「あなたが、手を上げようとしたものは、この国の最高の魔術師でもあり、一流の剣士でもある者ですよ」
「お前は!」
 水谷の夢の中で出てきた女そのままだった。目の前の外套を着た男は、女の登場と共に跪いていた。
「この者たちの、あたなへの無礼は私が詫びます」
 女はまっすぐ水谷の方へ近づいてくる。水谷は女から目が離せない。
「私たちの願いを聞き届けてはくれないでしょうか?」
 女が水谷の足元で跪いて、すがるような目で水谷を見る。
 勘弁してくれ。
 水谷は、このあとにくるであろう無理難題を、断りきれないことをどこかで予感していた。

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