即興ファンタジー・2

  水谷は、裁判所裏の「カレー劇場」というカレー屋が、夢に見るほど好きだった。職場から長い坂を登った先にあった。週に二、三回は行っていた。カウンターしかない細長い店だった。入って三つ目の席に水谷はよく座った。カレー鍋が目の前にあって、カレー独特のスパイスの香りが、たまらなかった。
「もう、カレー劇場にいけないのか」
 水谷は受け入れがたい現実を前に、力なく膝を折る。
 ここはベルドガランティス。水谷が病院のベッドの上で、夢に見た女に連れてこられた世界。
「壊れておりますな、巫女」
「そう言うものではありませんよ、チャス」
 巫女と呼ばれた少女から厳しい視線を送られ、緑の外套を着たチャスという男が、「申し訳ありません」とフードを外した。露になった顔は、幾重にもしわが刻まれ、白髪の混じったグレイの髪を後ろに回して、革紐で首のところで束ねていた。
「本当にこの者が、我らの世界を救ってくれるのでしょうか?」
「わかりません。ですが、予言の者は確かに、この方なのです」
 巫女は、最後を強調して、水谷を一瞥する。着物ともワンピースとも取れない服装で、巫女はまっすぐ水谷を見た。とはいえ、内心は、吸い込んだ空気の吐き出しどころがなく、必死に我慢していた。
「わざわざ日曜に出勤して、血を吐いて倒れたところで、この仕打ち。神様は俺がよほど嫌いと思える。無理して、言うんじゃなかった。バチが当たったんだ。神様の逆鱗に触れたんだろうね。まだ誰も来ていないオフィスで、進まない仕事にやけっぱちになって、あんなポーズで、どうしようもない日曜日だけど。私はまだ立ってるんだわ』と、オカマまっぽく行ったのがいけなかったんだ」
 あんなポーズとは、ちょっと右手を高くあげて、左手を腰に、両足は伸脚した格好のことだ。その瞬間、オフィスのドアが開いて、女性職員に見られる見られないかというぎりぎりのところで、水谷は慌てて、そのポーズをやめた。女性職員が入ってきたところで、水谷は急な吐き気に見舞われ血を吐いて、病院に運ばれたのだ。
「昼間にはカレー劇場で、ゆっくり食べる予定だったのに……」
 水谷にしてみれば、昼間にカレーを食べ、そこのマスターとゆっくりコミュニケーションを取ることが、癒しのひと時だったのだ。とはいえ、カレーばかり食べるから、もともと胃弱の体質の拍車が掛かったことには、思い至らない。
「水谷様、といいましたか?」
 巫女が、跪いて水谷を見ていた。
「もう一度言います。私の名前は、シオン。この世界の巫女です。私が貴方をこの世界、ベルドガランティスに呼びました。この世界は今、危機に瀕しています。この世を救うために、貴方の力が必要なのです。どうか、お力を」
「あのな。俺は普通の、なんの力もない男だよ。ただのサラリーマン。あんたらの世界を救えるような力はない」
 水谷はきっぱりと言って見せた。毅然とした態度で、はっきりと。が、シオンは跪いたまま、手を組んだまま水谷を見ていた。瞳が揺れて、少し赤くなっていた。
 水谷の脳裏にある光景がフラッシュバックする。
 学生のころ、仲の良かった年下の女子高生、早百合が、親と喧嘩して必死になって「しばらく匿って」と頼またことが思い出された。
「どうかお力を、お貸しください」
 シオンがゆっくりと頭を深々と下げる。水谷にはその姿が、早百合とダブって見える。
「俺がこの世界から戻れる方法はあるのか?」
「ございます。ですが――」
 水谷には、選択の余地などないことはもうわかっていた。
「協力してやるから、ちゃんと俺を元の世界に戻せ。いいな」
 こうなりゃ、やけくそだ! 
「ありがとうございます! 水谷様!」
 いきなりシオンが抱きついてきた。反射的に、水谷は受け止める。チャスが厳しい視線を送っていたが、水谷はまだ気が付かなかった。
 カレー劇場にもう一度行くまで死んでたまるか!
 シオンの体の熱を感じながら、水谷はなんとなく胃の痛みを覚えていた。

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