ああ、神様

 差し込んでくる西日に、雅士は目を細める。その雅士の目の前には、翔一が教卓の前の席に座ってカリカリとペンを走らていた。放課後の教室、二人以外に生徒は残っていない。
「どうして、神は我にこんな試練を与えたもうたのか?」
 翔一は頭を抱えて、半分泣きそうだった。
「いきなりそんな哲学的なことを言い出しても、そいつは終わらない。さっさとやれ」
 雅士はずれたメガネを右手の中指で戻す。
「その試練を与えたのは神様でもなく、自業自得と言うやつだろう。宿題くらいちゃんとやってこい。まったく小学生じゃあるまいし」
「せっかく、瑞穂ちゃんとデートの約束をしたというのに、それがなんだって、こんなことに」
「うちの妹のどこがいいのか?」
 雅士は翔一に聞こえないように呟く。聞こえようものなら、「瑞穂ちゃんは天使だ。兄のお前には、それがわからないのだ。いや、貴様は本心では兄妹という関係を嘆いているはずだ。素直になれ」などと言い出すに決まっている。やれやれ、妹といい、翔一といい、お互い変な奴に惹かれたあったものだ。
「いや、これは藤間のやろうの策略だ。俺の恋路を邪魔したかっただけだ」
 藤間は英語の教諭で、今日中に宿題を提出するように翔一に言った張本人だ。
 雅士は大きく溜め息を吐いた。
「日ごろ、宿題をしていないお前が悪いんだろう?」
「あー、俺は瑞穂ちゃんになんて謝ればいいんだ?」
 きいちゃいねぇ。半分涙目じゃねぇか。
「瑞穂には俺が行けなくなったメールしておいてやったから、さっさと済ませろ」
「雅士……」
「なんだ?」
「お前、いつからそんな良い奴になった?」
「気持ち悪い! さっさと済ませろ!」
 と、そこで教室のドアが開いた。雅士も翔一も振り返る。
「遅かったな」
 そこに立っていた瑞穂に、雅士は声をかけた。
「お兄ちゃん差し入れ持ってきたよ」
 瑞穂がコンビニのビール袋を掲げてみせる。
「なんで?」
 翔一は意味が分からず、目をパチパチさせている。
「だから、さっきメールして行けなくなったから、差し入れ持ってくるようにいったんだよ。少しは感謝しろよ」
 雅士が翔一に囁く。雅士は深く何度も頷いて見せた。
「で、何買ってきたんだ」
「チョコだよ」
 瑞穂がにっこり笑って、チョコレートの箱を教卓に並べていく。
「おま、一体いくつ買ってきたんだ?」
「えっと、いちにさん……全部で八個。チョコレートを疲労回復にいいのだ」
「さすが、瑞穂ちゃん。わかってらっしゃる」
「えっへん」
 翔一の言葉に、瑞穂が胸を張る。
「お前らな……」
 瑞穂の奴は絶対、俺にあとで請求する気だ。絶対。
「神が与えた試練も、瑞穂ちゃんの応援があれば、すぐに終わります。終わったら、カラオケ行きましょうね」
「おー」
 瑞穂は右手を握り締めて、突き上げたみせた。
「でも、神様が人に試練を与えるのは、ときどきは神頼みをして欲しいからです。そうやって、ときどきは思い出して欲しいからです」
「なるほど」
 翔一は深く頷いてみせる。
「あーお兄ちゃんがあきれてる」
 雅士は顔が引きつっていくのを感じた。
「チョコレートでも食べて、元気だしてね」
「ああ、瑞穂ちゃんは優しいな」
 なんだって、あんなメールを送ったんだろうな?
 雅士はアーモンドチョコレートを取りながら、自分の気まぐれを激しく後悔した。
 神様が人に試練を与えるのは、ときどきは神頼みをして欲しいから。そうやって、ときどきは思い出して欲しいから。瑞穂じゃないけど、もしこの二人がこのまま順調にいって、結婚でもしようものなら、俺は来るであろう試練は乗り越えられそうにありません。そこまで、思い出してほしいんですか、神様。
 部活をしている生徒の声が遠くで、聞こえる。その中にカラスの鳴き声が聞こえて、雅士は大きく溜め息をついた。口に入れたチョコレートはやけに甘かった。

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