墓地にて

 十一月二十五日――この日が何の日なのか、郁子は分からなかったわけではないと今でも、巧は信じている。何か事情があったのだと。そう思わないとやっていられない。
 あたりは夕陽が秋空を赤く染めていた。風が強く、巧はコートの襟を立てた。
「今年も独りで悪いな」
 巧は仕事帰りに高台の墓地に来ていた。ここに、親友の智也が眠っていた。
 智也が逝ったの五年も前のことだ。バイクが好きな奴だった。結構乱暴な運転をするやつだったが、別に走り屋というわけでもなかった。雨の日の帰宅途中、大型のトラックに轢かれた。二十二歳だった智也の人生はあっけなく幕を閉じた。
 智也の死は、彼と付き合いのあったものに、それぞれの悲しみを落とした。巧にも、郁子にも。
 巧と智也は高校からの付き合いだった。一年時にたまたま席が隣でウマが合ったといえば、それまでだろうが、他に思い当たるものもない。互いに足をひっぱり合いながら、何とか高校を卒業したが、進路は別々となった。巧はかろうじて地元の大学に進学し、智也は地元郊外の観光ホテルの従業員に就職した。
 春先、巧が大学にもなんとか慣れようとしたころ、「彼女ができた」と簡単なメールながら、報告があった。それが、郁子だった。
 郁子は智也と同じホテルの従業員だった。巧たちとは二つ年齢は上だったが、年上といった風はであった当初からなかった。
 ちょっと恥ずかしがりながら、智也に促されて、
「郁子です」
 と頭下げた。巧は人懐っこい妹のような印象が強かったことを巧は今でも覚えている。本当に年上なのかと勘ぐったくらいだ。
「本当は連絡とろうかと思ったんだけどな、どうも勇気がなくてな」
 供えられた花を変えながら、巧は独白した。
 智也が逝ってから、なんともなしにその命日だけは、郁子と連絡を取り合っていた。
「もうお前のことなんて忘れてしまったのかね、彼女は」
 その感情の中に、智也のことを忘れたのかというの憤り以外のものを感じて、巧は苦笑する。
「正直に言うと、郁子と会うのはちょっと楽しみだったりするんだよ。お前には悪いけどな」
 だから、去年ここに来なかったのが、歯がゆくもある。
「俺ももう二十七だしな。そういうことを考えて良い年齢だと思うけど、こればっかりは相手がいないことにはな」
 智也という細い関係でしかなかったことを今更ながらに思い知る。別に他に付き合った彼女がいなかったわけではない。毎年のようにここに来ると、郁子に惹かれている自分を意識せずにはいられなかった。その一方で、智也への友情も強く意識して――
「何やってるんだろうな、俺は」
 強く風が吹く。木々が揺れて、葉がゆらりと舞い落ちていく。
「去年は言わなかったが、本当は決心してたんだぜ。ほんとはよ。お前には悪いと思ったけど、こればっかりはもうどうしようもなくてな。年に一回しか会わないけど本当に良い女になってるんだよ」
 巧は自分で言いながら、虚しくなった。
「巧くん?」
 不意に、呼ばれて巧は驚いて、振り向いた。そこには郁子が立っていた。
「久しぶりね」
 再び強い風が吹く。その風の中に懐かしい香りがした。郁子が良くしていたバラの香水の香りだ。それは気のせいだったのかもしれないと思いながら、巧の胸は締めつけられるような感覚を覚えた。
「久しぶり」
 心臓の音が郁子に聞こえないか不安になりながら、巧はそれだけをやっと言葉にする。が、次の瞬間、目に入ってきたものに、巧は言葉を失う。
 郁子は胸に赤ん坊を抱えていた。フレアスカートに白のタートルネックのセーターを着て、赤ん坊を――。
「驚いた? 私ね、結婚したの。ちょうど去年の今ごろに式をあげたから、一番忙しかったんだけどね」
 郁子はにっこり笑っていった。
「おめでとう」
 巧はそう返すので精一杯だった。他の言葉など浮かびようがなかった。
「ありがとう。旦那もその辺にいると思うわ。なんで、こんなところに来ないといけないんだってぼやいてたけど。智也にだけはどうしても報告しておきたかったから」
 少しだけ切なそうな表情を浮かべて、郁子は智也の墓を見た。
「そうか、結婚したのか」
 巧は自分に言い聞かせるように反芻する。
「彼は喜んでくれると思う?」
 巧はずいぶんと残酷なことを聞いてくれると、思いながら、
「ああ、子どもまでいるんだ。幸せを願ってるじゃないか?」
 それだけを智也の墓を見ながら、返す。半分はもうどうでも良かった。
「巧君がいうなら間違いないか。安心した。もうここには来るつもりはなかったけど……」
 郁子の表情から巧は何も読み取れない。
「そっか。男の子? 女の子?」
 巧は郁子に歩み寄って、赤ん坊を覗き込んだ。顔立ちからは性別は判断がつかなかったが、目元は郁子に似ていた。不意にバラの香りがして、巧は慌てて顔を離した。
「女の子よ」
「そうか。郁子に似た綺麗な子になるよ、きっと」
「まだ、生まれて三ヶ月よ。気が早いわね」
 郁子はにこやかに笑う。幸せそのものといった感じで。巧にはそれが切ない。
「そうすると誕生日は……?」
「八月のって、教えたら何か贈ってくれるのかしら?」
「まさか、ワーキングプアだぞ、俺は」
 巧は両腕を上げて、わざとおどけて見せた。
「残念ね。お兄ちゃんは、プレゼントくれないって」
 にこやかに赤ん坊と声をかける郁子を見て、もう俺とも会いたくないのかもしれないのかもしれないという思いが、巧の頭をよぎる。俺と会ったら、嫌でも郁子は智也を思い出す。
「旦那はいい人?」
「うん。すっごく。ここに来るのもなんだかんだで許してくれたし。だから、これで最後。今日で最後にしないと、ね」
 やはり郁子は覚悟をして今日、ここに来たのだ。俺たちの関係を郁子は封じたいに違いない。
「そうだよな。仕方ないよな」
 半分は郁子に、もう半分は自分に言い聞かせるように巧は呟いた。
「ごめんね」
 誰に謝ったのか、巧には分からなかった。そのとき、郁子の腕の中の赤ん坊が泣き出した。
「ああ、どうしたの?」
 そう言いながら、あやす郁子の顔はとっくに母親だった。
「郁子ー!」
 遠くで男の呼ぶ声がした。振り返るとトレーナーにジーンズの大柄な男が見えた。
「旦那が呼んでるから、いかないと。結構せっかちな人なのよ」
 ちょっと困ったように笑う郁子の表情を巧は知らなかった。ずきりとした。
「なんか会えてよかった」
「私も」
 にこやかに郁子は笑って、「それじゃまたね」と背を向けた。
「またな」
 そう返しながら、その「また」もうないのだろうなと、巧は実感していた。
 少し早足になりながら、郁子はその旦那の所に向かう。寄り添うように歩く姿に、素直に幸せを願う気持ちと、へたり込みたくなる気持ちが交錯する。
「だめだよな、やっぱ」
 郁子たちの姿が見えなくなって、巧は大きく息を吐いた。ふと、三人で遊んだことを思い出して、巧はそれを見上げた。こみ上げてくるこの悲しみは何か、頬を伝って落ちる涙はすぐに冷たくなった。
「来年からはどうやら本当に俺は独りらしい。ちょっと寂しくなるな、智也」
 強い風が吹いて、巧は少しふらついた。
「それじゃ俺も帰るわ」
 巧はそのままゆっくり歩き出した。風は冷たかったが、強く巧の背を押してくれた。空は少し紫がかって、西には月が昇り始めていた。

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