三月三日

「今日、三月三日が何の日か知ってるか?」
 せっかくの休日にアパートに押しかけてきた彼が、突然聞いてきた。そのとき私は、昨日買ったばかりのCDを聞こうと封を開けていた。
「ひな祭り? それとも耳の日?」
 私はソファに座る彼にわざと背を向けたまま答える。そんな私の態度に彼は腹を立てて、声を荒げるのよね。
「この非国民が! ジーコ元日本代表の誕生日に決まっているだろう!」
 ほらね。でも、私はそこに乗ってはあげないの。
「なに、そのマニアックな知識は?」
「そんなことも知らないで、よく日本代表が応援できるな!」
 彼はどうせ私の言葉なんて聞いてないんだから。
「いや、別にサッカーに限らなくても。っていうか、応援はそんなことを知らなくても出来るしって、やっぱり聞いてない」
「では、野球というわけだな」
「野球とは誰も、って、また聞いてない」
 こうやって話を変えながら、うんちくをひけらかすのは彼の悪い癖だろうけど、私にしか見せない顔でもあって、それがかわいい。
「日本が世界に誇るイチローのニックネームが、『安打製造機』とは腹立たしいと思わないか?」
「別にイチロー自身が何か言っているわけじゃないでしょ?」
「俺が許せないのは、世界に誇る日本の至宝に向かって、『安打製造機』と名づけたネーミングセンスだ。失礼にも程がある」
「そう?」
「製造機って、人ですらない」
「まあ、そうなるわね」
 CDをコンポに入れて、再生させる。スピーカーから流れる音なんて彼には聞こえてはないでしょうけど。
「そこいくと、アメリカだと『ウィザード』だぞ。あまりに巧みなバットコントロールからそう名づけたそうだ。この違い、なんと嘆かわしいことか」
「そんなに悲しい?」
「実はそうでもない」
「気の変わりの早い奴」
 そこで私はようやく彼を見てあげることにする。黒の短髪を立てた私の好きな髪型の彼は、ずれたメガネをすっと戻していた。
「それで、三月三日が何の日か思い出したか?」
「だから、ひな祭り?」
 やっぱり私はとぼけてあげる。じらすのは私の役目。
「ほう、いい根性しているな。今度のプレゼンの発表の白羽の矢はお前に当ててやるよ」
「白羽の矢って、絶対生贄でしょ。勘弁してよ」
「よく知ってたな。白羽の矢の語源は、人柱を決めるときに使われた言葉なんだよ」
「へぇ~」
 彼とは同じ職場だけど、プレゼンはどうせ本気じゃないんだから。適当に驚いた振りをしてみる。それが気に障るんだろうけど。
「またそうやって、話を逸らす。いい加減、思い出したらどうだ?」
「思い出したらって言っても。三月三日ねぇ……両津勘吉の誕生日」
 この辺で終わりかしらね。
「ちがう! 俺の誕生日だ。まったく」
 ほら、業を煮やした。怒った顔を可愛いけど、からかってるのがばれると、あとが大変よね。
「ああ! ずいぶんと回りくどかったわね」
「幼稚園からの腐れ縁だろう。そろそろ憶えやがれ!」
「毎年、このやり取りやってるわね」
「おう、毎年な!」
「だから、朝から何か話をしないといけない気分だったのね。ああ、すっきりした」
 そうやって、私は彼ににっこり笑ってあげた。彼はどぎまぎして、私から目を逸らす。
「来月からずっと一緒なんだし、そんなに目くじらばかり立てるものじゃないわよ」
 そう言いながら彼の隣にまで歩みよって、彼の頬にそっと口付けした。少し無精ひげが生えてて、唇がチクチクって痛んだけど、それも仕方ないわね。
「結婚式、晴れるといいわね」
「そうだな」
 彼の相槌を背中で聞きながら、私はカーテンを開けた。青い空に白い雲が流れていた。

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