お局御三家

 会社になんとか遅刻せずに辿り着いた小林光晴は、デスクに黒のビジネスバックを投げやると、どすんと座り込んだ。
「おはようございますって、小林さん、どうしたんですか? 今日は朝から、めちゃくちゃ疲れてるじゃないですか?」
 一つ下のOL、榊友里の高い声に、小林は顔をしかめた。本当は耳を押さえたいところだったが、それは何とかこらえる。大きく息を吐いて、「おはよう」と小林は横に立つ榊を見上げた。
「昨日のいろいろあったんだよ」
「昨日って?」
 小林の脳裏に、あまり思い出したくない記憶が蘇ってくる。
「ああ、城田さんに呼び出されてましたね」
 ぐさりと、小林の心に何かが突き刺さる。そして『城田』の言葉に、室内が一気に静まり返る。榊が「あっ」と失敗したような顔を浮かべる。
「元気出してくださいね」
 榊はいそいそと、小林の隣を離れる。小林が机に突っ伏すと、どこからともなく、悪戯めいた話し声が聞こえる。
 なんだって、こんなことになったんだ? これは何かの間違いじゃないのか?
 顔を上げると、チラチラと小林に向けられていた視線が、一斉に逸れていく。
 別に見世物じゃないぞ、そう叫びたくとも、その気力さえ小林にはなかった。
 この不景気のご時世、トントンと上司から肩を叩いてもらった方が、マシだったのかもしれない。
 そう思い至ったところで始業のベルが鳴った。

 昼休み、小林が昼食前に誰もいない喫煙室で一服していると、同期入社の日高勇が入ってきた。日高とは、これまで何かと成績を競ってきた仲だ。社内ではライバルのように見られることもあったが、そんなにいい関係ではない。
「よー小林」
 にやついた日高の笑みが小林をイラつかせる。人の気も知らないで。
「お前、お局御三家に目をつけられたんだって?」
「どこでそれを?」
 思わず手にした煙草を落としそうになる。
「社内はその話で持ちきりだぞ。新しい生贄が決まったってな。いやーお前に、この前企画を通されたときは、評価が逆転されたかと思ったが、こんなことになるなんてな。明日は我が身、くわばらくわばら」
 ひとしきり笑って、日高は煙草も吸わないで喫煙室を出て行った。思わず日高の薄くなった後頭部に煙草でも押し付けてやろうかと思ったが、そんなことができるわけもなく、小林は肩を落とすしかなかった。
「会社やめても、すぐに仕事があるわけもないしな……」
 煙草の煙が目に染みる。と、そこで、お局御三家の一人、廊下を藤田が歩いているのが見えた。小林は気が付かれないように背を向けようとしたが、間に合わず、目が合う。藤田がにっこりと目を見開いて笑った。
 どくん。
 小林の心臓が一段と高く鼓動する。小林は毛穴が開いて、体温が放出されていくような感覚を味わう。
 藤田がそのまま歩いて、喫煙室の前を通り過ぎていく。
 何事もなかったことに小林は安堵の息を吐き出す。額をぬぐうと汗が滲んでいた。と、携帯のバイブが鳴った。ポケットから取り出すとメールが届いていた。
 from:藤田
 小林の背筋が凍る。
 本文:明晩はよろしくね
 ご丁寧にハートマークまでついている。
「これで俺も、帝都行きか?」
 小林は煙草を灰皿に押し付けて、喫煙室を出た。

 終業のベルが鳴る。
 結局、小林はほとんど仕事が手に付かなかった。お局御三家もさることながら、社内の雰囲気が耐え切れない。
 俺も前はこんなんだったわけだ。
「小林くーん」
 甘えた声が室内に響く。終業のざわめきが一気に静まり返って、一斉に部屋の入り口に視線が集中して、一気に飛び散っていく。そんな雰囲気などお構いなしで、つかつかと入り込んでくる、お局御三家、吉田。
「もう仕事終わってるわね? じゃあ、行くわよ」
「いえ、それがまだ……」
「この制度のことを知らないとは言わないわよ。私の言葉は命令と同じです」
 小林は改めて反論の余地がないことを悟る。すぐにパソコンをシャットダウンをしてみせた。
「よろしい。もう予約してあるから行くわよ。それじゃ、皆さんお騒がせしました」
 吉田は上機嫌で、ぐるりと室内を見渡す。が、誰もが吉田を見ないように目線を逸らす。目を合わせたら、次の生贄になってしまう。
「さあ、小林くん。今日も、健康のために頑張りましょう」
 吉田はスキップしながら出て行く。小林は黒のビジネスバッグを持ってあとを追う。もはや、哀愁さえ漂っていた。
 会社の福利厚生の一環として、社員の心身を健康を取り戻すためにある制度がとられていた。この制度、社員から一名をランダムに抽出して、終業と同時に退社させ、そのままスポーツジムで、決められた健康管理メニューをこなさせて、その後居酒屋に向かい、日ごろのストレスを発散させるというシステムだ。しかも経費は会社持ち。内容だけ聞けば悪くない制度だが、社内では『お局御三家結婚プロジェクト』と呼ばれていた。ランダムに社員を抽出させると言いながら、結局このお局の趣味にあう男性社員が選ばれている。過去に女性社員が選ばれたことがない。しかも、スポーツジムトレーニングはハード極まりなく、居酒屋では、お局から散々聞くつもりのない趣味だの愚痴だの求婚だのを聞かされるのだ。しかもお局は三交代制で、日替わりで毎日。いまだかつて、この制度で健康になったものはいない。
「体が壊れるのが先か、心が壊れるのが先か? どちらが先でも行き着く先は帝都病院。誰が言ったかは分からないけど、うまいこと言ったものだな」
「何か言った?」
 吉田が振り返る
「いえ」
 どうせ入院するなら、早く入院したほうがマシかもしれない。
 溜め息混じりに、小林は会社の窓から外を見た。もう太陽は沈んで、星が瞬きだしている。
 そして、今宵もまたそれは始められる。

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