プロポーズ

 喫茶店コンパス――
 何が入っているかなんて一目瞭然の紺色の上等な小箱が、司の座るテーブルの真中に置いてある。博史が真剣な眼差しで司を見据えている。博史はこめかみに汗まで滲ませていた。
「俺にそんな趣味はないですからね」
「誰が司君にあげると言った?」
 博史は肩をこわばらせて、力一杯否定してみせる。
「分かってますって。そんな緊張しなくても」
「ああ、すまないね」
 博史は自分を落ち着かせようと、水を一気に飲み干して大きく息を吐いた。
 二人は一番奥のテーブル席に座っている。薄暗い店内は心地よいジャズが流れて、コーヒーが店中に香る。唯一、場違いと思えるのが、二人から手前の席にいる黒いセーラーの女学生たちか。一人は化粧をして、一人は携帯をいじり、一人はプリクラを張りまくった手帳をにらめっこしながら、大きな声でわめき散らす。
「この前、うちの姉貴がプロポーズされたんだけど、そのプロポーズがマジでうけるんだけど」
 博史が「プロポーズ」という言葉にびくっと背筋を伸ばす。司はそんな博史に向かって、くすりと笑ってみせた。
「そんなにびくつかなくても、良いじゃないですか?」
「ああ、そうだね。それにしても、コーヒーまだかな」
 博史がカウンター越しにちょっと顔を出して女性店員を見る。白シャツにスラックスの彼女は俯いて、豆を量りながらドリッパーに入れているところだった。司は、まだ注文して三分も経ってないと思ったが、それは言わないでおいた。
 何もうちの姉さんにプロポーズするのにそこまで、緊張しなくてもいいだろうに。いつも実直な博史さんのこの狼狽した様子なんて見れないから、それはそれで面白いけど、ここまでくると気の毒にしか見えない。
「それ、いくらしたんですか?」
 ついさっき、引き取りに行ってきたというその箱を指差しながら、司は聞いた。
「決して安くはなかったけど、でも金額ではなくて、これは気持ちが大事なんだよ」
 ちょっと得意げになっていることを考えると、結構な金額だったのだろう。そのとき、女学生の声が響いた。
「絶対、あの男に洗脳されたとしか思えないんだよね。あんなの死んでも、『お兄さん』なんて言えねぇっつーの」
 その女学生の言葉に、博史が本当に泣きそうな表情で司を見る。
「いや、俺はそんなことありませんって」
 司はもう苦笑するしかない。女学生はそのままさらに続ける。そのテーブルの誰が聞いているのかわかったものではないが、それもお構いなしに。
「大体、プロポーズが『これから先の人生、俺と座布団を並べてくれないか』だって。アホらしくて聞いてらんないわよ」
 博史もこれは胸に突き刺さったようで、右手で左胸をさすってみせた。
「いいかい、司君。男にしてみれば、プロポーズは一世一代の大仕事なわけだよ。それを、それを。俺には彼の苦悩が良く分かる」
 博史が女学生に聞こえないように、憤る。いや、そこは怒るところじゃないと思うし、そのプロポーズ自体もどうかと思ったけど、司は苦笑したまま水を飲んだ。
「で、何かプロポーズは考えているんですか?」
「ああ、ぜひ司君の意見を聞かせてくれ」
 博史は呼吸を整える。
「『君のアドレナリンになりたい』どうだろう?」
 司は言葉が出なかった。
「僕と一緒にいることで、彼女のアドレナリンがだね」
「ほ、他には、何か、ないんですか?」
「え、他のかい? 『君の白血球になりたい』というのも考えたけど、やっぱりアドレナリンの方がいいと思うんだよ。まぁ白血球になって彼女を守りたいというのがあるけど」
 なぜ、体内の一部になろうとする? 司は頭を抱えた。期待に満ちた眼差しを向ける博史が、憎らしく見える。
「考え直してください」
 聞き覚えるある女性の声がして、司は顔を上げた。一瞬、コーヒーの鮮烈な香りが鼻孔に広がる。その香りの先に、司の姉、博史の恋人、明美が立っていた。
「二人して、何をしているのかと思えば、なーにわけのわからないことを。まったく、もうちょっとしっかりしてくださいよ」
「ど、どうして、明美さんが」
 博史は完全にパニックに陥っていた。顔面は蒼白で、歯が震えていた。
「言ってなかった? 私はここで働いてるのよ」
 明美は何を今更といった感じだ。
「喫茶店なのは知ってたけど、ここがその……」
 博史は動転したまま、どうにか状況を整理しようと必死になったのが見ていてわかって、司はとにかく申し訳なくなって、
「博史さんが、以前、姉さんの働いているところが見たいと言ってたし、二人をびっくりさせようと思ったんだけど」
 大きく溜め息を吐いた。ちょっとした遊び心が、こんなことになろうとは。
 謝ろうとした司を博史が片手で制す。
「明美、ちょっとそこに座ってくれるか?」
 博史には有無を言わせない迫力があった。明美はしぶしぶ司の隣に座った。
「こういう形になって、申し訳ない。でも、こうなったら言うしかないと思うから。僕と結婚してくれないか」
 博史はまっすぐ明美を見据えて、小箱を開けて見せた。きらびやかに光を反射して、眩しいダイアモンドがそこにあった。
「あーあ、もうちょっとムードにあるところで聞きたかったわ」
「ごめん」
 博史は静かに頭を下げる。そこにすっと明美が左手を突き出す。それを見て、司を静かに席を立つ。
「それ、付けてくれない?」
 ちょっと照れた明美の言葉を背中で聞きながら、司はレジまで歩く。いつのまにか、女学生の姿はない。顔見知りのマスターに軽く頭を下げて外へ出る。コーヒーの香りがちょっとだけ、名残惜しかった。

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