畦道を行け

 若手で新人、しかも男性教師。そうくれば頭を使うよりも、有り余る体力を使わざるをえないことは仕方ないか。
 太ももの筋肉痛に顔をしかめながら、三村は職員室の自分の席に腰を下ろす。昼食を食べたばかりであることに加えて、昨日の疲労が抜けきれず眠気に襲われる。
 次の授業の準備もあるし、これじゃいけない。
 三村は眠気を振り払おうと、首を横に大きく振る。丁度、そこにベテラン男性教師の加藤が声を掛けてきた。
「大分お疲れのようですな。三村先生は昨日の大捕り物は大活躍でしたから」
「久しぶりに体を動かしたせいで、体のあちこちが痛いですよ」
「いやいや、まだまだお若いですよ。私ときたら、走ったらぽっくり逝ってしまうかもしれません」
 確かに、よぼよぼのおじいちゃん先生だし……って、冗談とも本気とも取れないじゃないか。つまり、えーと、代わりに、走れってか?
「また昨日のようなことがあったら、私が走りますよ」
「それは頼もしいですな」
 にこやかに笑いながら、加藤は自分の机に向かう。その背中に、こっちの気も知らないで、と視線を投げたところで効果はなく、嘆息とともに三村は窓に目を向ける。外は青空が広がって、白い雲が浮かんでいる。
 こんな日は、このまま惰眠をむさぼりたい。なんだって、こんなに疲れないといけないのか、脱走した生徒のことなんで、放っておけばいいじゃないか? まぁ、でも、見つけたら追いかけないといけないのも教師か……。あいつらが抜け出したのもちょうど今の時間くらいか。
 昼休みの終わり方、学校を抜け出した生徒が複数いたため、三村はその生徒たちを追いかけたのである。校長命令で、わけもわからず。
『三村先生、午後は空いてましたよね』
『はぁ』
『それじゃ、急いで追いかけてください』
 と、こんな具合で。
「大変です!」
 大きな声で中年の女教師、島崎が職員室に駆け込んできた。職員室にいた教師の視線が島崎に注がれる。
「二年の吉村が、また脱走を!」
 島崎は息も絶え絶えに、それだけ行ってその場に座り込んでしまう。
「これで通算三十回目くらいですかな?」
 数えてたのか、加藤先生? 思わず三村はあきれてしまう。
「正確には、三十二回目ですよ」
「そうでしたか、校長先生」
「ええ、加藤先生が出張しているときに、連続で脱走しましたから」
「ああ、そう言えば、そんなこともこの前、話されて」
 校長先生まで、何を――三村と校長の視線が合う。
「じゃ、三村先生、連日で申し訳ないですが、追いかけてください」
「は?」
「まだ、急げば間に合いますから」
「いや、午後の授業は?」
「差し替えます。他の教科と。急いでください」
 にこやかな校長の命令だった。三村は声にならない叫びの代わりに、「わかりました」と絞り出すしかなかった。

「いやー今日は、天気が良いですな、校長先生」
「そうですね。加藤先生。絶好の観戦日和です」
 二人は、後者の屋上から、双眼鏡を持って外の景色を眺めていた。眼下に広がるは、畑。どこまで続く畑。遠くにようやく住宅街が見える。
「さて、吉村と言えば、逃げ切った経験はないですが、なかなか足の速い生徒だったかと」
「そうすると、三村先生といい勝負ですな」
 校長は早速とばかりに、三村の姿を探し始める。
「とはいえ、三村先生も連チャンですから、分かりませんよ。お、いました」
 加藤が校長に畦道を走る三村を指差して、教える。
「そうすると、吉村は、と」
 校長が三村の先を見ると、逃走中の黒い学ラン姿の吉村がいた。三村が「待て!」と叫んだのが聞こえたかと思うと、追いかけられていることに気が付いた吉村が走り出す。
「だいたい、その差として、二百くらいでしょうか?」
 加藤が補足したところで、校長は考えこむ。
「校長、早く決めてください。私が先に言いますよ」
「いや、今日も、三村先生に賭けよう」
「じゃ、私は吉村に」
 キャベツを収穫している農家の声援を受けながら、追う教師、逃げる生徒。
 まだまだ悪ガキがいる田舎の中学。つまらないことがあると、無断ではける生徒は多い。が、そこは畑の真中に建っている見晴らしのいい中学。脱走しても、すぐに見つけられるわけだったりする。それが悲しいかな見つけたら、追いかけないといけないのが教師の仕事であるし、生徒は生徒で教師から逃げ切ることで箔がつくなんて話が、いつのころからか生まれてしまって、教師は箔なんてつけさせるわけにもいかなくなって、教師と生徒の追いかけっこは、互いの意地のぶつかり合いと化してしまっている。
「お、吉村との差が開いてきましたね。脱走も三十を超えると体力もついてきますね」
 加藤が喜びの声を上げる。下の教室からもどよめきが起こる。
「授業そっちのけの観戦は感心できませんね。どこのクラスがあとで、調べましょう。こういうことは、静かにばれないようにやらないと。それにしても、三村先生はもう少しできるかと思いましたが、もうちょっと教師の意地を見せて欲しいものですね」
「校長先生、連日でその評価は少々酷かと」
「早く捕まえないと、学校に戻ってくるのも大変ですからね」
 もう学校から二人ともかなり離れてしまっている。校長が双眼鏡で覗くと、三村は走るというよりも、ほとんど歩いているようだった。
「これは勝負は決しましたかね。今夜は私の奢りのですか」
「ごちそうさまです」
 加藤が校長に頭を下げる。
「校長先生も追いかけたことはあるんですか?」
「逃げたことも、追いかけたこともありますよ。ここは私の母校ですし、初任校でもありましたから」
「おお、それで成績は?」
「もちろん――」
 校長の伝説が屋上で語り出された頃、吉村が石につまずき、三村が無事に教師の面目を守った。

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