夜のタクシー

 空は梅雨のせいで、分厚い灰色の雲に覆われているはずだった。その雲が昨夜から続く雨を降らせ続けているはずだった。
「天気予報ははずれたのか?」
 ベッドの上で休日の惰眠をむさぼるはずが、カーテンの隙間から見えた空の青さに雅士は目を覚ました。昨日の晩の様子では、天気予報でも言っていたように、雨はまだまだ降り続くはずように思えた。
 雅士は、飲みすぎた体を強引に起こす。軽く胃からこみ上げてくる不快感を何とか抑え込む。
「飲みすぎたか?」
 けだるく重い足は、思うように動いてくれない。
 昨晩のことが思い出される。
 雅士は後輩の大田に絡まれて散々だった。大田が仕事のミスを、上司の田代からこっぴどく叱られたので、ちょっと慰めようと飲みに誘ったのがいけなかった。大田の奴の愚痴が止まらない。
『俺だって一生懸命やってんだ。それをあのパンダ、こっちの努力も知らないで、散々いいやがって。何が、甘ったれるな、だ。無理難題を強引に押し付けておいて、言われたとおりに企画上げてみれば、オリジナリティがないとか、散々好き勝手言いやがって』
 パンダとは上司の田代のことだ。雅士にしても、目の上のたんこぶのような上司であることには変わりないが、大田が先に出来上がってしまうと雅士は妙に冷静になってしまった。ただただ大田がつぶれるまで飲んでいた。
「で、大田と一緒に個人タクシー乗って……」
 ベッドの上で、大きく息を吐いた。記憶をたどる。
「大田の家まで行って、大田をおろして――」
 妙な言葉がよみがえってきた。タクシーのドライバーとの会話だ。
『相手の方、かなり寄ってらっしゃいましたね』
『ええ。ちょっと仕事でいろいろあったんですよ』
『どの業界も大変そうですね』
 雅士はドライバーの言葉に苦笑するしかできなかった。それで、雅士は話を変えた。
『それでもこの雨で止んでくれれば、もう少し気もまぎれるんですが。せっかくの休みも、どこにも行けないじゃないですか?』
 闇を走るタクシーのワイパーが忙しく雨を払う。対抗車線のライトに雨粒が反射していた。
『大体、なんだって、こんなに降るんですかね』
 梅雨と分かっていても鬱陶しい。
『お客さん。そんなに梅雨が嫌いですか?』
『嫌なものですよ。雨の中通勤するってのは。慣れませんね』
 と、その後に言った言葉が、自分でもわからない。
『UFOでもいいから、来てくれて、この空をどうにかしてくれないですかね』
『UFOですか。いいですね。お客さん送ったら、連絡しておきますよ。明日、晴れるように。でも本当にUFOが来ても、お客さんと私の二人だけの秘密ですよ』
 なかなか冗談に乗ってくれる面白いドライバーだと笑って、雅士は個人タクシーを降りた。相変わらず、雨は降っていて、止む気配など微塵もなかった。
「まさか、本当に晴れるとは思わなかったけど」
 ベッドから降りて、雅士はカーテンを開けた。
「はあっ」
 思わず声が出た。一気に、酔いが覚めた。
 その先にあるのは、やたらと巨大な未確認飛行物体、UFO――。掃除機のようなチューブで雨雲を吸い取っている。
「何の冗談だよ……」
 雅士は空を見上げたまま、立ち尽くす。
『あ、こちら、私の名刺です。良かったら、今後もよろしくお願いします』
 笑った親しみのあるタクシードライバーの顔が突然、雅士を脳裏をよぎった。得体がしれない何かに巻き込まれてしまったんじゃないかと、ぞっとする。
 雅士は部屋の隅に置いてある黒のビジネスバッグを取りに向かう。足が震えて、思うようにならなくて、フローリングの床に転ぶ。膝の痛みにこらえて、腕を必死に伸ばすと、バッグに手が届いた。バッグを引き寄せて何とか財布と携帯を取り出す。
 震える指で、昨日のタクシーに電話をかける。数回の呼び出し音のあと――。
『もしもし』
「あー、えーと、えーと」
 勢いでかけてしまって、言いたいことが言葉にならない。
『もしかして、昨日のお客さん。いやー大変でしたよ。UFOを呼ぶのは。いかがです、この青空は? 気に入ってくださいました?』
「はぁ……」
『そりゃー、よかった。請求書送りますので、支払いよろしくお願いしますね。またのご利用お待ちしてます』
 そのあとの無機質な音に、雅士はただ立ち尽くすしかなかった。UFOはただただ、雨雲を吸い続けている。
「請求書って、別にこんなの頼んだ覚えないぞ。だいたい、なんだよ、この名前は」
【お客様の御用命に迅速に対応します。
 未確認タクシー 代表 藻孤尾輪】
 雅士は急に感じた吐き気に、握り締めていた名刺を放り投げるとトイレに駆け込んだ。

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