可能性について

「よく無限の可能性がある」って聴くじゃない? 受験とかでさ。あれって、半分は当たってるけど、半分は間違ってると思うんだ、私は。だって、言ってる人は多分、あきらめないで頑張って欲しいとか思ってるわけだけど、実際の話、可能性なんていい加減なものとしか思えない。極端な話、これ言う人は、無責任と思う。本当にある可能性なんて、実際誰にも判りはしないことでしょ。何かを選択した時点で、可能性なんて減るだけ。可能性は減ることはあっても、増えることはないわけで。時間が過ぎれば過ぎただけ、減ってるはず。
 そもそも、可能性なんだから、事態が悪くなる可能性も当然ある。ああいうこと言う人に限って、事態が悪化することを考えてない。努力すれば事態は良い方向に向かうとか、好転するとか思ってるんだよね。確かにそうあって欲しいけど、私だってそうあって欲しいと思うけど、少なくとも最悪の事態が想定できない人に、事態が好転するなんてことはそうそう起こるとは思えない。
 私の好きな本の中にこういう言葉がある。
「可能性に善悪の区別はない」と。
 そうなんだよね。可能性なんてそんなものでしかない。結局、私もこういうことを考えてたわけ。考えうる全ての可能性の中に、悪い可能性も確かにあるんだ。良いことばかりじゃない。むしろ、悪い可能性の方が、絶対的に多い。だから、努力しなくちゃいけないんだと思う。何もしなければ、悪くなるだけでしかない。別に何か否定したい訳じゃない。ただ、何もしなければマイナスにしかならないのなら、ゼロにして、プラスにする努力をしなければいけないはずなんだ。
 確かに可能性は無限にあると思うよ。でもさ、見える可能性って、すごく少ない。はっきり言って、その中に、最善のものがあることさえ怪しいわけで。でもその中で最善の思うものを選んで、必死にあがかなくちゃいけない。だからこう思う。何を選んでもいい。大切なのは、たとえその結果がマイナスだろうと、プラスに変えるように、後悔するより今何をしなくちゃいけないのか考えること。この道を選択したのは他ならぬ、自分自身だと。だから、たとえどんな結果になろうとも、自分自身でその結果を受け止めて、前に進むにはどうすれば良いの考えなくちゃいけないんだ。周りに人間に反対されるかもしれない。でも、それでも、自分の選んだ道なら、それが正しいと思って選んだ道なら、反対した人を、認めさせるくらいのことを考えなくちゃいけない。誰もあなたの苦しみを肩代わりしてくれないんだ。
 あの時、ああしていれば良かったなんて、本当は誰にも言えないんだ。あの時、ああしていれば、幸せだったなんて、一体誰が判る? 判るはずがないんだ。今しかないんだ。だったらせめて、これからどうすればいいのか、どんなことが出来るのか、考えるべきなんだ。どうすれば良いのかなんて誰も知りはしないんだよ。出来ることは、今一番正しいと思うことに向かって、努力するだけ。それが思うように行かなくても、今を生きるから、そうする以外に方法なんてない。そう考えると、実際のところ、可能性なんてないのかもしれない。結果なんて後からついてくるものさ。

(結局、私はこんなことを考えて、生きてるのかも知れない。でも、こう考えても、感情とかついてきてくれないこともあるし、そこまで、プラスに行動なんかできるはずもないわけで。なかなか難しいよね)

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