for F’s


   序

 父さんが実家への帰還命令を出した。
 一昨日の夜の、突然の電話だった。
 父さんは、とにかく一度帰って来いと、有無を言わせなかった。大方、大学を卒業して早二年、就職しない俺のことを気にかけてのことだろう。帰って来いというのに、別に反発する気などない。大学進学のために一人暮らしを始めて、六年が経つ。最初の二年は盆、正月と帰っていたけれど、三、四年時にはゼミを理由に、帰らなかった。ここ二年はバイトが忙しいと、逃げていた。そんなわけで、父さんが帰って来いというのは、もっともなことだった。
 就職については、俺はジュエリーショップでバイトをしているのだけれど、そこの店長である田宮さんから、「社員として働かないか」と幾分も前から声を掛けられている。俺の働きを認めてのことで、嬉しい反面、正直のところ迷っている。ジュエリーショップの社員――「お前なら、店長候補に推薦してやる」とまで言ってもらえている。接客は好きだけど、それでいいのか。給与や待遇が問題ってわけじゃなくて、でも、就職すべきなのは分っている。他にやりたいことがあるわけでもないけど……ただただ、それでいいのかって――。
 そんな将来について、はっきりしないもやもやした気分が変わればと、俺は実家に戻ることにした。
 父さんからの電話の翌日、田宮さんに休む旨を伝えた。ここ二ヶ月、殆ど休みがなかったこともあって、せっかく帰るのだからと、無理を言って一週間も休みをもらった。代わりにまた一ヶ月休みなしということになったけれど、それもいいだろう。
 朝の十時を回った頃、俺はバッグを肩にアパートを出た。
 外は秋晴れで、遠くに白い雲がちぎれちぎれにあるだけで、一面に澄んだ青空が広がっていた。そよぐ風が心地良い。隣の家の塀を越えて伸びた木々の葉は、まだ色づかず、青々としている。
 赤い塗装が剥げてしまった錆の見える階段を下りて、裏にあるアパートの専用駐車場に向かう。このアパートの住人で車を持っているのは俺だけだから、部屋の数と同じ六台分の駐車スペースの真ん中にぽつんと俺の車、黒のヴィッツがある。学生時代にバイトを三つ掛け持ちして買ったものだ。
 鍵を開けて、車の後部座席に着替えの入ったバッグを放り込む。運転席に乗る前に、石川光一に電話を掛ける。石川とは高校からの友人で、お互いに親友と呼べるほど仲が良い。石川は地元の大学へ進学し、俺は県外の大学へ。今は面と向かって会うことはなくなったが、時折連絡を取り合っていた。戻るとなれば、石川に知らせておきたい。
「さて、起きてるか?」
 携帯の呼び出し音を聞きながら、車に背を預ける。
 石川は、大学卒業後、塾講師をしている。出勤は午後からで、午前中は寝ている可能性が高いことを思い出しながら、呼び出し音に意識を向ける。昨日のうちに掛けておけばよかったか?
『はい。もしもし』
 けだるそうな声だった。
「石川か? 相澤だけど」
『相澤か! 久しぶりだな』
 石川の頭に一気に電源が入ったようだ。
「寝てたか?」
『まぁね。それでどうした、こんな朝から?』
「今から実家に帰るんだ。一昨日、父親から帰還命令が出た」
 ちょっと照れ隠しに言うと、
『何年も帰らないから、そういうことになるんだよ』
 携帯の向こう側で、石川が笑う。
「一週間はそっちにいるつもりなんだ。それで会えるなら、会おうと思うんだけど、どうだ?」
『ちょっと待って。確認するから』
 がさごそと紙が擦れる音に、何やら漁る音が聞こえて、再び石川が出る。
『明日が十九時までで、早く上がれるな。あとは無理そうだな』
「そうか。なら、そっちに着いたら連絡する。のんびり帰るつもりだから、そろそろ出ないと」
『解った。それじゃ、帰ったら連絡頂戴』
「了解」
 俺は携帯を切って、運転席に乗り込む。エンジンを掛けると、軽い振動が腰に伝わってくる。ブレーキを踏んでギアをドライブに入れると、サイドブレーキを降ろしてアクセルを軽く踏んだ。
 高速には乗らない。実家までゆったり帰ること十時間。ちょうど夕食時に着くだろう。
 青い空の下、道の狭い住宅街をゆっくり抜けて、片側二車線の国道に出る。国道には銀行やファーストフード店、書店が立ち並ぶ。日傘を差した歩行者や自転車に乗る学生を追い抜いていく。
 最初の赤信号で停止したところで、音楽を掛けようとして、はたと気がついた。CDを持ってきていない。
「しまったな……」
 車上荒らしを防ぐために、極力車の中には物を置かないようにしているのが、仇になった。さすがに十時間、聞くものが何もないというのは苦痛以外の何ものでもない。動く牢獄にいるようなものだ。
 取りに帰るか? と思った瞬間、信号が青に変わり、俺は仕方なくアクセルを踏む。こうなると取りに帰るのも面倒だ。無いよりはましだろうと、ラジオを点ける。
「そういえば、ラジオって、結構久しぶりだよな。レディオ・マジックが終わってからは、ラジオは縁遠くなったし」
 中学の頃まで、ラジオを良く聞いていた。それもこれも、家では九時以降テレビを見ることが禁止されていたからだったりする。まぁテレビなんか見ずに、勉強しろという、親のありがた迷惑な愛のムチだったんだろうけど、さすがにちょっとやりすぎだと、今でも思う。CDなんて買えるほど小遣いがもらえていたわけじゃないし、結局ラジオを聞くようになった。ただ家が山あいにあったから、AMの電波がまともに入らなくて、FMしか聞けなかった。そのFMの中で、一番のお気に入りがレディオ・マジックだった。
 そんなわけで、やはりラジオといえば俺の中ではFMだった。
 ロック調の軽快な音をバックに、女性のパーソナリティが喋る。
『今日のお題は、秋になると思い出す一曲。どうして思い出すのか、エピソードも教えてください。貴方からのファックス、メール待ってます。
 それでは、今日最初のお便り。ペンネーム――』
 考えてみれば、俺の中でレディオ・マジックは神格化されているわけで、それと比較すれば、他のラジオ番組は大抵つまらなくて仕方ない。この番組も、文字通り無いよりマシといった程度で、まともに聞こうとは思っていない。
『リスナーの方とお電話が繋がってます。もしもしヒトミさんですか?』
『はい』
『声が若いですねー。大学生?』
『ハイ』
『あら、授業は今日ないのかしら?』
『講義が今日は午後からなんです』
『そうなんですか。何を勉強してるんですか?』
 俺は前に車がないこといいことに、アクセルを強く踏む。
 ラジオはイントロクイズが始まったところで、チャンネルを変えた。

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