二周年コメント

 えーと、まともな活動が出来ず、私自身歯がゆい思いですし、いるのかどうか分かりませんけれども、さっさと更新しろと言ってくださる方には、申し訳なく思っています。どうもすいません。(二周年という話なのに、のっけからこんな文章ですいません)

 振り返ると……やめときます。サイトを振り返ると凹みそうだ。でも、多少は振り返らないと話にはならないので、少しだけ。

 この二年間、そんなに満足がいくだけの小説が書けたというわけでは、決してないのだけれど、スキルは相当あがったつもりでいます。どの変が? と言われると言葉に詰まりますけど、ただ単に自己満足で終わらせないように気をつけたりね、そんな些細なことなんだけど、そういうのが一番大事だと私は思います。一応言っておきますけど、私の中では単純に「スキルが上がった=作品の質が高まる」というわけではありません。簡単に言えば、情景描写、心理描画が上手いことは、いい作品を描く上では重要なファクターなんだけれども、それが絶対に必要なわけじゃない。それで、質を高めるということは、結局のところ、読者を引きつけて、離さないってことだと思います。そのためにいろいろやれようになるという意味が、私のスキルの向上という意味です。
 本当に少しは面白いものが書けるようになったのかは、読者に任せるしかないんですけどね。


 私の小説観――小説って何? このことを考えるようになって気がつけば二年……。

 この二年間で、小説観みたいなものは結構変わったと思うんです。ライトノベルはほとんど読まなくなりました。某物書きが言ってました。「内容の陳腐さをイラストでごまかすようになった(文章が完全にあってるかは分かりませんけど、主旨はこういうこと)」これが本当かどうかわかりません。とういうか、判断がつかない。私がライトノベルを読むようになったのは、ざっと十年以上は前の話で、ライトノベルなんて言葉も無かった気がする。その当時、ライトノベルを書いていた人で今も書いているなんて人は少ないしね。これは別にライトノベルに限った話でもないんだけどね。ただ、本当に質が下がったのかどうか、社会も変わったし、自分だって成長してるし、書き手も変わらないはずがない。昔から陳腐なことを書いていたのかもしれないし、今はそういう先入観があるから、新しい作品にはそう思って、昔の作品にはそう思わないのかもしれない。ただ、問題とするところは、イラストなんだと思う。つまり、内容が陳腐な作品が、イラストで売れる。この点は非常に問題と思う。

 ライトノベルの作家が一般大衆小説を書いても売れないだろうが、一般大衆小説を書く作家が、ライトノベルを書いても売れないだろう。ごく一部の才能のある作家は除きますが。つまり、両者は質も対象も全くことなる。しかしライトノベルが単にイラストで売れることもありえるという点で、能力のない作家が生き残り、イラストに頼ってしまって、ライトノベルの全体的な質の向上が遅れている観が感じられる。私はその結果が今の現状だと思うんですけどね。要するに売上抜きにして、ライトノベルの作家の中で、本当の意味で一般大衆小説と勝負できる作家がどれだけいるのかって言うのは疑問で、ライトノベルなりの質の向上が必要なときだと思う。本当の意味でライトな小説になって欲しい。さもないと、今後どんなに面白い小説が登場しても、本当に十代、二十代の「おたく」と呼ばれるごく一部の人々にしか読まれないなんてことになりえる気がしてならない。その辺が私なりのライトノベル業界に対する危惧だったりするんです。

 ところで日本の芸術文化には表と裏があると思う。戦前以前の能とか日本画とか日本古来からあるのが表の文化で、戦後の漫画とかアニメ、テレビゲームが裏の文化。なんで、漫画とかアニメが裏なのかっていうと、社会的に、政治的にという方が正確なのかもしれないけど、保護とか推進されるような風潮がないから裏です。世界的に見ても、素晴らしい文化だとは思うので、もっと奨励されたり保護されてもいいはずなんだけど、日本人の美意識からすると低俗という理由であまりそういうことが言われないのかも。もっとも認められているのは手塚治虫と、宮崎駿くらいで、この手の技術とかはすでに海外に流出してそのうち韓国あたりが優れてくるかも。

 それで話が少し脱線したけど、小説は表と裏、どっちなんだと。文学小説っていうのは多分表で良い思うんだ。夏目漱石とか太宰治とかその辺の近代からあるようなのは。一般大衆小説となるとちょうどグレイゾーンにあたるのかね? で、ライトノベルは……漫画とかを通り越して裏の裏あたりにあるようなそんな気がしますが、いかがですかね? というのも、ライトノベルなんて小説じゃないなんて言う人も現にいるし、あらゆる本を読む人でさえ、ライトノベルだけは読まない人もいるわけだしね。ちなみにライトノベルの新人賞を獲ってデビューしても、一般的な文学賞とかでは小説家としては扱われず、文字通り全くの無名の新人扱いらしいです。小説家として認められていないわけです。私自身はライトノベルにどっぷりだったのでそういった感じはありませんけど、理解できないわけでもないです。現に出版社は、ライトノベルを結構簡単に漫画化したりアニメ化したりするわけで、その辺の副産物を期待して、作家ちゃんと育てて作家として売り出さないから、一般に小説として認知されないんじゃないかね。

 まぁ、この際なので、ライトノベルについて私の気持ちを。ライトノベルを読んで、小説も書くようになった私としては、今の現状は残念でならないという気持ちを汲んでください。もっと社会的な地位が上がって欲しいんです。ライトノベルはすごく可能性のあるジャンルだと思うんだけど、ライトノベルが本当にごく一部の人にしか読まれなくなるということは、ライトノベルの作家が、作家として食っていけなくなるし、ライトノベルを書く作家になる人のレベルも下がって、衰退するんじゃないかとさえ思う。別に漫画化するなとかが言いたいわけじゃなくて、イラストに頼るわけでもなく、アニメ化を目指したり期待するわけでもなく、純粋に小説としての地位が上がって欲しいだけです。
 それで、私の小説観に話を戻しますけど、そもそも小説の定義があやふやで、小説すべてを括れるなんていうのが意外と難しい。「小説とは何か」なんていつも考えて、書いているんだけど、とりあえず自分なりに答えは出たかな。ライトノベルであれ、大衆小説であれ、なんであれ、「面白ければ小説である。つまらなければ小説ではない」これが私の小説観です。このことに集約されます。文学的であろうが、純愛であろうが、エンターテイメントだろうが、それを読む人が楽しめて、少しでも幸せな気分になれるものが小説なんです。大体、読者は批評家じゃないし、編集者でもないんだから、最後まで読んで「あー面白かった」そう思ってもらえれば、それで小説になるんです。だから、書店に並んでいるものは、ただの本でしかなく、誰かに読んでもらって初めてそれが、小説になったり、エッセイになったりするんです。(ここまで言うと極論か)


 小説を書くってこと――べつあなたじゃなくていいかもしれないけれど、それじゃ困るんだ、私が

 書店に行けば、まぁ小説(と呼ばれているもの)が沢山ならんでいるわけだけど、こんなにあるのに私が小説を書く必要があるのかね? 私が書かなくても小説はあって、誰も困りはしないんですよね。なんてことを考えます。

 これは別に小説に限ったわけじゃなくて、現代の日本が飽和しているからで、別に「あなたでなくても、それはある」んですよね。裏を返せば「あなたでなければダメだ」ってことにならないといけない現状が横たわってるんですよね。そんなことは、どんな人でもなんとなく無意識に感じてる部分だと思う。競争原理の中で、能力の無い奴は潰れていくといってしまえばそれまでですが。

 そう考えると、はっと、自分の書く意味が無くなるんですよね。でも、それをあきらめると困る自分がいるんですよね。他の誰も困らなくても、他ならない自分が困るんです。だから私は小説を書くんですよね。きっぱり言ってしまえば、自分のためです。でも、「私が書かなければダメだ」なんて言ってくれる人がもしかしているのであれば、それは非常に嬉しいし、その人が楽しめるように私は小説を書きます。

 実を言えば、小説を書き出して間もないころ、読者なんて全く意識してなかったです。自分勝手に書いてました。まさに自分のための小説。小説を書いて、それが自分しか救えない小説であるなら、それは小説じゃない。読者が楽しめるものがやっぱり良い作品なんです。ただ、自分のためにならない作品が良いのかってなると、やっぱり良いわけなくて、じゃあどっちが優先かというと、それは自分の方を優先した方がいいと思う。自分で良いと思わない作品が良いはずがないし、そんなものを世に出す人がいるはずがない。もっとも、どんなものでも胸を張って良い作品だなんて、言えるはずもない。満足の問題で、それは単にもっと良いものをっていう向上心なんですけどね。

 どんなことでもそうだと思うけど、自分のためにやってることが、他人のためになること一番良いんだろうね。まぁ、「あなたのためにやってるのに、何だそれは」なんてこともあるし。考えてみれば、最初から他人のためにやるようなことがこの世に存在するんでしょうかね? あるような、ないような……


 これからのことについて少し――何も変わらないってことは無いだろうけど……頑張ります。

 これからも多分こんな感じでこれからも書いていくでしょう。プライベートなことがすまないと更新のスピードはなかなか上がらないでしょう。(感想とかが来ればスピードは上がるでしょう、とさりげなく)連載という形式をとれば変わるでしょうけど、さすがにそれはする気がありません。より良い作品を読んで欲しいので。あと、新人賞応募用の長編を書きたいので、時間を見つけて書きます。就職したって、プロになることをあきらめる気はないし、なれなくても小説はどこかで書いていたいです。その時にしか書けないものはきっとたくさんあるし、それを逃さないでいたいし。


 二周年のコメントはこんなもので。去年は何もしなかったし。日頃考えていることがまとまってすっきりしました。長文読んでくださったかたありがとうございました。ご意見、ご感想がある方は、掲示板でもメールでもお好きなほ方を。ただし、抗議としてウイルスを送るのは勘弁してください。

 独り言――愚痴とも言う

(あーそれにしてもライトノベル関連が一番多い。こんなに書くつもりはなかった。まぁ、きっかけだからなんだろうけど、それがこのまま埋もれてしまうのは結構に辛い。出版社が利益重視に走るのが原因だろうし、結局のところ小説のとしての利益は一般小説から取ればいいわけで……。ライトノベルもいいものは沢山あるんだと力説しても、所詮は「おたく」の戯言だと言われるようになったら……。もうなってる? そもそも読者の質を高めればって、作家の質を高めれば……あー難しい。そもそもこの手の裏文化をいい加減国が保護するなり奨励するなりを――)


コブクロの『Door』を聞きながら――二〇〇四 霜月二十四日 瑞樹 了

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